悠々自適に
そんな人生を送れているのなら、不安や問題なんていう煩わしいものは塵のようにどうでもよく見えるのかもしれない。
多くの人を見てきて、ふれあい、接してきて分かったことが一つだけあって、それは何かというと、自分は上辺を気にして人と関わってきたんだなということだ。
そう思い当たる節がありすぎて、ほくろを数える如くその節は思い出す度に増えていき、次第に確信へと変わっていた。
楽して生きたいと思うことはあっても、無茶して死にたいなんて思う事はそうそうないけど、痛みもなしに死ねるならそれはそれでいいってスタンスを持っている僕がおかしいという感じはない。
なぜなら周りの人もその意見に賛同し、少なからず僕と同じ価値観というものを所持しているからだ。
偶然ではなくこれは割と必然なんじゃないかなと感じることもあるし、今日は○○が食べたいと思ったら、その通りの献立が並んでいることに対しては偶然だなと感じる自分がいる。
よく分からない事を散々言ったけど、人間っていう種族はすべからく生きるべき、という概念があり、死に対して否定的だ。
ただ、自分が死に直面すると、こんなものかと今までの人生の中のハイライトを探しては懐かしみ、探しては懐かしむ走馬燈というものを見せ、ゆっくりと死がやってくるんだろうけど、そこに恐怖っていうものはあるのかどうかと言われれば、僕はないと思う。
どちらかというと、怒りの方が近いのではないかなって。
「なんで、こんなところで死ぬんだ...」って、
そういう最後なんじゃないのかなと思ったりする。